日本人が作る苔テラリウム

日本人が作る苔テラリウムと海外の方が作る苔テラリウムはそこから放たれる雰囲気が若干異なる。

私は、ぱっと見ただけで海外の方が作った苔テラリウムかどうかの判別がほぼつく。

そして個人的な判断ではあるが日本人の作った苔テラリウムの方が好みだ。

私は常々それを感じており、何故日本人の作る苔テラリウムの方が好きなのか疑問に思っている。

仮説を立てるのならば次のような理由ではないか。

一つ目は単に私たちが日本人だから同じ血を引く日本人の作った作品に愛着のようなものを感じるから。

二つ目は海外の方には無い感性が日本人には備わっているから。

最後に、そもそも作り方が違うから。

他にも幾つかの仮説を立てることは可能だと思うが、この三つは私の中の確信に近い理由のようなものがある。

ではその理由を述べていこう。

まず日本人が作るものを日本人が良いと感じるのは当然だ。

日常的に日本人は皆、似たような環境に置かれ、四季の中で同じように自然や文化を感じている。

小さな島国の中で同環境の中で過ごしていれば感性においても共通点が多くなるのは必然。

それを作品に投影しているのだからきっとそうなるだろう。

また世界から見たら日本人は皆、同郷のようなもの。

言葉も肌の色も同じであるのだから家族のように親近感を覚えるはずだ。

しかし、これだけの理由では作品を見ただけで海外のものを見分けることができることについての説明にはならないだろう。

では二つ目の理由はどうだろう。

人間社会と苔の関係性を考えてみよう。

海外では昔から苔を嫌う習慣があったという。

一般的には「苔」=「汚れ」「汚いもの」として扱われ、苔が生えたらすぐに洗い落とされてしまうのだとか。

一方、日本の文化ではどうだろうか?

古くから苔のある風景に侘び寂びを感じ苔寺や苔庭園は貴重な風情としてずっと守られてきた。

つまり二つ目の日本人にしか備わっていない感性がある理由とは日本人の歴史的文化に沿った感性がDNAに刷り込まれていてそれが苔に対する愛情に繋がっているからだと言える。

ここまでの話は私の見解が主で正直そこまでの根拠はない。

ただ、最後の作り方が違う理由についてははっきりと根拠を述べることができそうだ。

海外の方の苔テラリウムの特徴をあげてみる。

  • 日本の作品に比べるとサイズが大きい
  • 原色に近い色の観葉植物を寄せ植える
  • 苔の植え付けは主に貼りゴケ法

いかがだろうか?

日本人は比較的小さな小瓶に石と苔だけを使い丁寧に挿しゴケをしてることが多い。

表現する内容は寄せ植えではなくて自然の風景を一部だけ切り取ったかのような侘び寂びを感じられる内容のものがほとんどだ。

そして日本人の感性を活かした苔テラリウムは海外のそれとは違い苔の育成のことも考慮され品質も良い。

これは苔や自然物に対する愛情が深いからこそのものだと言える。

私は思う。

日本人のこの特徴的な感性は今後ますます世界から注目を集める。

「スシ」や「ボンサイ」などと同じように日本から世界へ広がる文化のひとつとして「日本人の作る苔テラリウム」=「コケテラリウム」があると考えるのは大袈裟なことではないと思う。

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