名古屋に苔テラリウムショップができました!

そうなんです。名古屋市千種区池下に念願だった苔テラリウムショップが6/6にオープンしました。

『THE GREEN moss design』

THEGREENmossdesign

もちろん私がお店を出したわけではありません。

あのボイメンの所属する事務所の系列のショップとのこと。

早速オープンホヤホヤのお店にお邪魔してきました。

ちょうどこの街にぴったりあった外観で正直庶民には少し入りづらい雰囲気が漂っていました。

勇気を出して黒塗りの重厚な扉を開けて中に入るとそこにはハイセンスな苔テラリウムがずらっと並ぶ異世界が広がっていました。

クリエイターの小原さんの作風は苔テラリウムに盆栽を掛け合わせたスタイルが主流。また動物のフィギュアがちょうど良い塩梅で自然豊かな景色を演出している作品もありました。

話をお聞きしていると関西で経験を積まれてショップをされていたところ、ボイメン事務所の社長とのご縁がありお店を出すことになって名古屋にやってきたとのこと。

言われてみればその作風は関西のクリエイターの方に多く見られる特徴にも思える。

日本の真ん中で関西風と関東風の苔テラリウムがあることを実感するとはいかにも不思議な感覚。

マネージャーの稗田さん曰く、名古屋に来て1番最初に驚いたことはお祝いの花が開店数時間でなくなったことだそう。

実はこの地域独特の風習で、開店祝いの花は縁起物とされ近所の人が勝手に抜いて持ち帰っても良いとされているのだ。

むしろこの辺りの地域では花が持ち去られる方が良いこととされているわけで、それを知らない人からしたら開店早々泥棒されて先行き不安になるのも分からなくはない。

お二人には早くこの地に慣れていただき、東海地方に苔テラリウムを浸透させ益々発展するための拠点を作り上げていって欲しいと願うばかりです。

苔楽と古原さん

苔は高級品で然り。

苔の成長速度と栽培の難しさを考えたらテラリウム用の苔の販売価格が高くなるのは当然のことだ。

生産された苔が高価だと苔テラリウムも高価になる。

これも当たり前のこと。

ただ、苔テラリウムを正しい値段で売ろうとすると世間からは高いと言われてしまう。

これは世間の苔に対するイメージがそうさせているのだと思っている。

苔=どこにでも生えている

苔=ジメジメしていて汚らしい

苔=鑑賞価値がない

世間一般ではそのように思われているのだろう。

苔業界はこのような世間のイメージを払拭し、正しい知識を浸透させる必要がある。

そうしない限りは苔を正当な価格で流通させることが困難だ。

正当な価格で流通が行えなければ苔生産農家が今以上増えることはおそらくない。

また苔テラリウムクリエイターはより技術を磨き、人を魅了するような美しい作品を作り鑑賞価値を高める努力をしなければならない。

そこを蔑ろにしたまま安価で苔テラリウムを販売し続けるといずれ苔業界が破綻すると懸念している。

つまり、安価にするために苔を生産農家から仕入れず山採りのものばかり使っていたら環境保護の面で問題が生じるし、品質も安定していないため客離れを起こす。

残念ながら現時点では世間的に苔テラリウムの価値があまり認知されていないので高くても買うという人が少ない印象だ。

だから世間のイメージに合わせて苔テラリウムを安く売ろうとする業者が増える。

気持ちはとても理解できる。

しかし、これは単なる一時凌ぎであって、苔業界全体のことを考えると努力の方向が間違っているのではないだろうか。

イメージしてみよう。

フランス料理は高級です。

厳選された食材を使って鍛錬を重ねたシェフが腕を奮って美しい料理を提供してくれる。

そして私たちは安心して食事を楽しみ、満足してお金を支払う。

一方、「激安!ワンコインフランス料理」と謳われているお店にあなたは行きたいと思いますか?

私ならその値段で売られていることに不信感を覚え行くことを躊躇します。

これは私の中にフランス料理は高級であって良いというイメージがついているからに他ならない。

全国の苔テラリウム販売者の方に言いたいのは安売りをすることが自らの苔テラリウム業界の首を絞める行為でもあることを認識していただきたいということ。

もちろん自社努力で少しでも消費者に届けやすいように創意工夫をしているのであれば話は別です。

環境を保護するためにきちんと生産された苔を仕入れ、安定した品質を確保した苔テラリウムを提供することこそが、それを購入していただけるお客様の満足に繋がると信じています。

ボタニカル業界のフランス料理の地位をいつか実現したいものだ。

業界全体が一丸となって盛り上がっていくことを願っている。

構図における苔の量の話

緑が視界にたくさん入ってくると人は癒される。

苔テラリウムの構図においてもおそらく苔をもりもりにするのが正統派なんだと思う。

だからと言って苔のみをガラス容器に入れて作るとなんだか締まりのない構図が出来上がってしまう。

でもそこに石を入れるとビシっと締まるのが不思議だ。

おそらく苔テラリウムは苔+αで成り立っている。

+αは石や砂、フィギュアやシダ植物や山野草などがそうだろう。

では次に苔の量と+αの量のバランスを考えてみよう。

個人の見解ではあるが、苔:+α=1:9くらいまで苔の量を少なくしても場合によっては成り立つと思っている。

ただし、その時はかなりジオラマ的要素が出てくる。

石の組み方や植物の選定及び配置、フィギュアの精度など、様々な要素をしっかり成り立たせた上でそこに苔を添える。

つまり苔の量がバランス的に少なければ少ないほど難易度が高まると言えるわけだ。

なので初心者の方はまずは苔:+α=9:1くらいのバランスで苔をモリモリ入れると良いと思う。

なぜなら、その後、苔が成長して自然の成り立ちを織り成し勝手にリアルさを生んでくれるはずだからだ。

時間が経過すればするほど立派な苔テラリウムになる。

技術が高まってきたら意識的に苔の量を減らした構図にもチャレンジすると良いと思う。

日本人ならではの侘び寂びを意識しながらスポット的に苔を配置していく。

この苔をどこに挿すのが最適か。

苔を挿す作業は側から見ると静的作業ではあるが本人の頭の中では煙が出そうなくらいフル回転しているものだ。

植え付けたその時だけのことだけではなく、数年後この苔がどのように成長するのかまで考えたりもする。

たまにはこのように、ジオラマや盆栽ではなく、あくまで苔テラリウムであるという境界線スレスレを狙った作品を作るのも面白いのではないだろうか。

苔好きコミュニティについて思うこと。

私が苔を通じて得たものはかけがえのない仲間だと信じている。

一般的にはそのような集まりをコミュニティというのだろう。

私自身が東海地方在住ということもあり、コミュニティで顔を合わせる方々もほとんどが東海地方在住者だ。

SNSで交流するだけでなく一緒にリアルのイベントをやったりする。

私にとってかけがえのない素敵な人たち。

だが実はお互いの本名を知らなかったりする。

SNSを通じて知り合ったので基本的にはアカウント名で呼び合うからだ。

そのようなルールがあるわけでもなく、その方が親しみやすく分かりやすいからそうなっているようだがそれで良い。

知り合った人は会社勤めをしていると日常では知り合えないような老若男女様々な方たちだ。

「苔が大好きだ」というたった一点の共通点で繋がっている。

おそらく今現時点では世間でマイノリティの分野とも言える苔好きの人たち。

日常ではなかなか出会いがないのも当然だ。

しかし、マイノリティだからこそ生まれる結束力。

いちいち苔の魅力を熱弁しなくてもすでに理解してくれている人たち。

そのコミュニティの中ではお互いを尊重し、下手に干渉しない。

程よい距離感を保ちつつ相手に関心を持つ。

こんな関係性が自然と作られていて居心地がよい。

コミュニティは作ろうと思って作れるわけではない。

なぜならSNSをやっていれば共通の趣味などを通して自然発生するものだからだ。

ただ、コミュニティと呼べるのはリアルがあってこそ、その本当の意味をなすような気もしている。

つまり「苔好き」と「ご近所」という強力な共通テーマがあるとぐっと距離感が近づくからだ。

活動エリアが近いと自分と特定の人との間に目に見えない磁力が生み出される。

自然発生的と書いたが、もしかしたらみんなが発する磁力の中心にさらに強い磁力の持ち主がいたらもっとコミュニティは生まれやすく活動的になるのかもしれない。

磁力の強い人。すなわち魅力的な人。

おこがましいかもしれないが私は少なくともコミュニティの中においては磁力の強い人間でありたいと思っている。

これを読んでいただいた方はきっとご縁のある方。

東海地方圏内に限らずぜひSNSという媒体を使ってお近づきになれたら嬉しいと常々思っている。

苔好きコミュニティが全国に広がり、みんなで何か面白いイベントなどがやれたら最高に楽しいはずだ。

今日で苔楽企画は一周年を迎えます。

苔楽企画の屋号を取得したのが去年の4/1。本日で発足から一年が経過しました。

ここまでたくさんの方との出会いがありアドバイスをいただき、たくさんの刺激を受けてきました。

振り返れば苔楽はやはり周りの人に支えられて成り立っているんだなぁとしみじみ実感しております。

苔楽と絡んでいただいた全てのみなさま、本当にありがとうございました。

ここに感謝申し上げます。

二年目を迎えるにあたり苔楽企画はYouTube苔楽フィルムの継続と苔楽ショップの土台作りを目標にしたいと思います。

YouTubeはコンテンツの充実と継続の力で1万人登録者達成を目指します。

苔楽ショップではたくさんのお客様に苔テラリウムを知っていただくきっかけとなるべく、安定した商品やコンテンツの提供とEC販売の強化を中心に土台を整え、安心してご購入いただけるようにいたします。

特に苔楽ショップの中核としてオリジナル商品の開発に力を入れます。

私、苔楽自身が苔テラリウムを作る時にこんなものがあったらいいなと思ったものを形にして皆さんに届けたいと思っています。

世間に苔テラリウムの良さを知ってもらいもっと周知してもらうためには今ある初心者の方がせっかく始めようとした時にぶつかる障壁を極力取り除かなければなりません。

苔楽ショップがその解決策となる商品を作り出し、みんなが苔テラリウムを手軽に楽しめるような風土を作れたら素晴らしいと考えてます。

私のような個人が商品を作ることはめちゃくちゃ大変です。

もちろんそれを販売するノウハウも必要となります。

でも私の周りにはSNSで繋がった苔仲間の方々やリアルに会って協力してくれる東海地方の苔仲間たちがいます。

私一人でやれることは限られていますがみんなの力を少しずつお借りしていけば素晴らしいものを作り上げることができると信じています。

苔楽企画はそんな仲間たちと共に新たな一歩を踏み出していきたいと思います。

明日は道草さんとライブ

とうとうその日が明日へと迫った。

道草石河さんとのライブ配信だ。

正直今、このブログを書いている理由は緊張をほぐすためだ。

で、なぜ私がこんなにも緊張をしているか。それを文章で表現するのはなかなか難しい。

一応、念のため、その理由を紐解いていくとしよう。

出会いはYouTube「道草ちゃんねる」だ。

もちろん向こうは私を知らない。

苔テラリウムの魅力をうっすら感じていた私を完全に釘付けにしたのはまがいもなく彼の作ったYouTube動画だ。

道草ちゃんねるのレイアウトを参考にして自分なりに作品を作りSNSやYouTubeにアップしていくにつれそれなりに作品のレベルは上がって行ったと思う。

でもある程度レベルが上がるとそこには容赦なく大きな見えない壁が待ち受けているものだ。

道草さんのYouTube動画を真似しながら同じように作っても何かが足りない。納得できない。そんな壁にぶつかってしまったのだ。

ある時、名古屋市に道草さんの作品が展示販売されているという情報を入手した。

私は自分でいうのも変だがかなり行動派だ。

その日は仕事だったが、仕事着のまま夕方にそのお店を訪れた。

あった。

そこには初めて見る石河さんの作った作品が情報通り展示販売されていた。

近づいてみた瞬間、自分でもよく分からないが、ありきたりな表現にはなるが稲妻に打たれたような感覚を確かに覚えたのだ。

とにかく美しさのオーラが半端なかった。

一時間以上はそこにいただろう。

道草コーナーの前で微動だにしない変な客だったに違いない。

目の前に置かれている作品はどう見ても自分のそれとは似て非なる物だった。

もちろんキャリアが違うのは当然だが、その美しさは手先の器用さの違いだけではないような気がした。

おそらくこれは石河さんが苔テラリウム制作に向かう時の心の姿勢が根本的に私と違うのかもしれないと直感的に感じたのだ。

苔テラリウムはただ形を作るのではなくて全ての自然の恵みを預かり環境そのものを作るんだよと教わっているようだった。

その後、私が相も変わらずYouTube苔楽フィルムの投稿を続けていると、何かのタイミングで憧れの石河さんが私のことを認識してくれているということが分かった。

本当にSNSの力は絶大だ。

憧れの人といとも簡単に繋がれてしまうんだから。

もちろん私が図々しく近づいていったのも繋がれた理由のひとつ。

なにしろ私は行動派だから。

SNSで石河さんと会話もできるようになったある日、石河さんは私の苔楽フィルムを応援してくれているような趣旨のことをつぶやいた。

どうやら石河さんは苔テラリウムの普及活動として苔YouTubeを発信する人がどんどん増えていくことを願っているようだった。

だからYouTubeはやめないでと言われた。

なんて人なんだ。

同じジャンルである苔テラリウムYouTuberは本来からしたら言ってみれば邪魔者。

道草ちゃんねるくらいのレベルであれば苔楽フィルムなど蹴落とすことも容易にできたはず。

しかし石河さんは全力で応援してくれようとしていた。

これこそが苔を愛する人の精神なんだ。

だからあの美しいオーラを放つ苔テラリウムを作ることができるんだ。

ようやくすとんと腑に落ちた感覚を味わった。

そして明日、ついに初めて石河さんと対面する。

私にとっては夢に見た瞬間だ。

緊張しないわけがない。

しかもただ対面するだけではない。

ライブ配信をするという。

私はただお会いできるだけで良いのに、でも、これはおそらく石河さんの配慮。

私とコラボすることで苔楽フィルムを伸ばそうとしてくれている。

繰り返すが、なんてお人だ。。。

明日はどんなお話をしようか。とりあえず一晩考えてみる。

とは言え、私のことだから、いざその場に出ればきっとひょうひょうと配信を楽しんでいるんだろうとも思っている。

それが私のスタイルでもあるのだ。

明日はお祭り。

何も考えず、思うままその場の雰囲気に心を漂わせて道草ワールドにどっぷり浸かってこようと思う。

乾杯。

山野草やシダ植物を入れる

苔テラリウムなので苔をメインにすべきという考え方がごく自然である。

純粋に苔だけを使った苔テラリウムは確かに素朴で美しい。

その路線は古典としてはきちんとした手法を確立すべきだとも思う。

ただ、それに固執しない進化系のジャンルがあってもよい。

可能性としては苔+アルファの進化ルートだ。

例えば苔+フィギュア。または苔+植物。だろう。

苔+フィギュアはアクアリウムジャンルの中でも苔テラリウム独特の世界観だ。

これはこれで細分化していくのも面白い。

今回私が注目したいのは苔+植物の方だ。

密閉された苔テラリウム内で苔と共に生活できる植物は限られている。

高湿で半日陰の場所を好む植物だ。

自然界を除けばその答えがわかる。

滝壺の近くの苔に沿うようにして生息する植物たちがたくさんいる。

シダ植物系と山野草系だ。

これらは苔と同じ環境下で育つため理論的には苔テラリウム内でも管理ができるはずである。

自然界との大きな違いは土壌だ。

苔テラリウムでは有機物が排除されているベースソイルを土壌として使用する。

有機物は土に分解して養分になるわけでそれがないということは根から養分を吸収する仕組みの植物にとっては死活問題とも言える。

有機物がないと植物系のものは生きられないのか?

そればかりは実験をしてみないと分からない。

私はいくつかのシダ植物と山野草を小瓶レイアウトに移植した。

植え替えてから一年。

今も問題なく緑の姿をキープしている。

ただ限られたスペースなので葉がガラス面に触れるくらいの大きさになることがあり、そうすると葉が茶色く変色して落ちるようだ。

つまり、どういうわけか、植物たちはこの限られたスペースの中で体の大きさを調整しながら生きている。

よくできた仕組みだ。

この結果だけ見るとベースソイルに養分がない点に関しては思いの外問題はなさそうだ。

最低限の与えられた水と光を使ってこの環境に適した生長を見せてくれる。

むしろ養分を与えると大きくなりすぎてしまうのでこの環境には適さない。

しかしながら水の与えすぎでの根腐れや、種類に応じての環境管理などが必要なので植物系を入れるのは上級者向けではあることに間違いはない。

苔だけの苔テラリウムをうまく育てることができるようになったらいつか挑戦してみると良いと思う。

苔テラリウムの新たな可能性を探るためにシダや山野草の活用を考えていきたい。

苔テラリウムガレージセール

これはいつか企画としてやりたいなって思ってること。

皆さんが自分で作った苔テラリウムって部屋に飾ってありますよね。

その子をじっくりと観察しながら眺めながら楽しむのも良いと思うのですよ。

ただ、苔テラリウムにどっぷりはまり込むとそうもいかなくなります。

つまり、”また作りたい欲”が沸々と湧き上がってくるのです。

そしていつのまにかお気に入りの道具を揃え材料を仕入れ新しい容器に新しい世界を作っている自分がいるのです。

日常の中に習慣化された苔テラリウム作り。

気づけば本棚のスペースは端から端まで苔テラリウムで埋め尽くされ、収拾がつかなくなります。

だからといって年月の経過と共に良い感じにモコモコと整ってきたこの子たちをスペースの都合でリセットするのも忍びないと思いませんか。

そこで私は皆さんが作った苔テラリウムを販売するお手伝いができないかと考えています。

「苔テラリウムガレージセール」のコーナーを苔イベント会場の一角に設け、それぞれが作品を持ち寄りブースに並べてイベントに来てくれたお客さんに見てもらう。

もちろん販売し、売れたらその人の利益となります。

良いことはそればかりではなく売れたということは少なくともそれを買っていただいたお客様には作品を認められたということ。

それは必ず自分の作品に対する自信につながります。

そしてまたその苔テラリウムは新しい人の元で大切にされ育っていくことでしょう。

ガレージセールにはあなたと同じように苔好きの人たちが集まります。

苔テラリウム愛好家です。

苔テラリウムはまだまだニッチなジャンルのため嗜み人口が少なく、街中でばったり同じ趣味の人と出会う確率は稀です。

そんな方々とダイレクトに出会うことで交流が始まり情報交換を行うことができるようになるきっかけとなります。

皆さんの大好きな苔テラリウムの世界が広がっていきます。

また、コンテストを行うのも楽しいと思います。

自慢の作品をエントリーさせて自らアピールする。

そうすることで客観的に作品の良さを自己評価するきっかけにもなるし、他の人のアピールポイントを聞くことで今後の作品作りのヒントにもなります。

苔テラリウムを買う→作る→売るのサイクルが一般的になればもっともっと苔テラリウムが世の中に知れ渡ります。

いつかその中からスタークリエイターが生み出されるかもしれません。

これは私の夢です。

一人ではできません。

賛同してくれる人がもし現れるのであればより具体的になっていくでしょう。

それまではこっそりこのように自分のホームページのブログで呟いていこうと思います。

日本人が作る苔テラリウム

日本人が作る苔テラリウムと海外の方が作る苔テラリウムはそこから放たれる雰囲気が若干異なる。

私は、ぱっと見ただけで海外の方が作った苔テラリウムかどうかの判別がほぼつく。

そして個人的な判断ではあるが日本人の作った苔テラリウムの方が好みだ。

私は常々それを感じており、何故日本人の作る苔テラリウムの方が好きなのか疑問に思っている。

仮説を立てるのならば次のような理由ではないか。

一つ目は単に私たちが日本人だから同じ血を引く日本人の作った作品に愛着のようなものを感じるから。

二つ目は海外の方には無い感性が日本人には備わっているから。

最後に、そもそも作り方が違うから。

他にも幾つかの仮説を立てることは可能だと思うが、この三つは私の中の確信に近い理由のようなものがある。

ではその理由を述べていこう。

まず日本人が作るものを日本人が良いと感じるのは当然だ。

日常的に日本人は皆、似たような環境に置かれ、四季の中で同じように自然や文化を感じている。

小さな島国の中で同環境の中で過ごしていれば感性においても共通点が多くなるのは必然。

それを作品に投影しているのだからきっとそうなるだろう。

また世界から見たら日本人は皆、同郷のようなもの。

言葉も肌の色も同じであるのだから家族のように親近感を覚えるはずだ。

しかし、これだけの理由では作品を見ただけで海外のものを見分けることができることについての説明にはならないだろう。

では二つ目の理由はどうだろう。

人間社会と苔の関係性を考えてみよう。

海外では昔から苔を嫌う習慣があったという。

一般的には「苔」=「汚れ」「汚いもの」として扱われ、苔が生えたらすぐに洗い落とされてしまうのだとか。

一方、日本の文化ではどうだろうか?

古くから苔のある風景に侘び寂びを感じ苔寺や苔庭園は貴重な風情としてずっと守られてきた。

つまり二つ目の日本人にしか備わっていない感性がある理由とは日本人の歴史的文化に沿った感性がDNAに刷り込まれていてそれが苔に対する愛情に繋がっているからだと言える。

ここまでの話は私の見解が主で正直そこまでの根拠はない。

ただ、最後の作り方が違う理由についてははっきりと根拠を述べることができそうだ。

海外の方の苔テラリウムの特徴をあげてみる。

  • 日本の作品に比べるとサイズが大きい
  • 原色に近い色の観葉植物を寄せ植える
  • 苔の植え付けは主に貼りゴケ法

いかがだろうか?

日本人は比較的小さな小瓶に石と苔だけを使い丁寧に挿しゴケをしてることが多い。

表現する内容は寄せ植えではなくて自然の風景を一部だけ切り取ったかのような侘び寂びを感じられる内容のものがほとんどだ。

そして日本人の感性を活かした苔テラリウムは海外のそれとは違い苔の育成のことも考慮され品質も良い。

これは苔や自然物に対する愛情が深いからこそのものだと言える。

私は思う。

日本人のこの特徴的な感性は今後ますます世界から注目を集める。

「スシ」や「ボンサイ」などと同じように日本から世界へ広がる文化のひとつとして「日本人の作る苔テラリウム」=「コケテラリウム」があると考えるのは大袈裟なことではないと思う。

苔テラリウムがつなぐ人と人

苔テラリウムに限ったことではないかもしれない。

過去に人は他人に自分の想いを伝えるために言葉を習得した。

その後に言葉を使わず想いを伝えるアートも開発した。

苔テラリウムはアートに近いのかもしれない。

自然界の情景を言葉ではなく苔テラリウムという形で伝えるモノだからだ。

まさに他人へ自らの想いを伝え共有するためのアートであり、突き詰めればつまりは言葉にも似ている。

実は私が作品を作り続ける理由がそれなのかもしれない。

SNSで発信してそれを見た人と想いを共感しあい、それによって気持ちがつながる。

気持ちがつながれば相手の存在がくっきりと形になって見えてくる。

私という存在と他人という存在を結びつける尊いモノ。

そうやってこの二、三年間は色々な人とのつながりを持てた。

不思議なことに大切な存在が増えるのと比例して自己肯定感も高まりだす。

もし、私が苔テラリウムに出会えていなかったら現在私から見えているたくさんの人の存在すら知らなかったはず。

そう思うと苔テラリウムとの出会いがどれだけ貴重なものだったかを痛感するものだ。

すでに私にとって苔テラリウムはただのインテリアグリーンではないことは確かだ。

だからこれからも作品を作り続けようと思う。

私の想いを作品に投影しながら、共感してくれる人と繋がりながら、限られた時間を最大限にそこにあてる。

それがもはや私の使命であり存在価値なのだと感じている。

大袈裟か。。。(笑)