苔テラリウムに限ったことではないかもしれない。
過去に人は他人に自分の想いを伝えるために言葉を習得した。
その後に言葉を使わず想いを伝えるアートも開発した。
苔テラリウムはアートに近いのかもしれない。
自然界の情景を言葉ではなく苔テラリウムという形で伝えるモノだからだ。
まさに他人へ自らの想いを伝え共有するためのアートであり、突き詰めればつまりは言葉にも似ている。
実は私が作品を作り続ける理由がそれなのかもしれない。
SNSで発信してそれを見た人と想いを共感しあい、それによって気持ちがつながる。
気持ちがつながれば相手の存在がくっきりと形になって見えてくる。
私という存在と他人という存在を結びつける尊いモノ。
そうやってこの二、三年間は色々な人とのつながりを持てた。
不思議なことに大切な存在が増えるのと比例して自己肯定感も高まりだす。
もし、私が苔テラリウムに出会えていなかったら現在私から見えているたくさんの人の存在すら知らなかったはず。
そう思うと苔テラリウムとの出会いがどれだけ貴重なものだったかを痛感するものだ。
すでに私にとって苔テラリウムはただのインテリアグリーンではないことは確かだ。
だからこれからも作品を作り続けようと思う。
私の想いを作品に投影しながら、共感してくれる人と繋がりながら、限られた時間を最大限にそこにあてる。
それがもはや私の使命であり存在価値なのだと感じている。
大袈裟か。。。(笑)