苔楽地蔵が教えてくれたこと⑦

〜〜想いを言葉にすればいつかは叶う〜〜

サミット開催は小さなひらめきから

私は、時々ふとした拍子に、いろんなことを思いついてしまう。

アトリエの改装作業をしながら頭の中に浮かんだのはこんなことだった。

「全国の苔テラリウム作家さんやクリエイターが、一堂に集まって話ができたら、どんなに面白いだろう」

でも正直、誰も今までやったことがないし、最初はただの空想でしかなかった。

そんな大それたことが自分にできるわけないとさえ思っていた。

そんな時思い出したのが過去の出来事だ。

絵本作りで学んだこと

実際に、これまでもふとした思いつきが形になった経験がある。

たとえば「苔楽地蔵の森さんぽ」という絵本を作った時もそうだ。

その時もなんとなく頭に浮かんだ構想やストーリーをSNS上で呟いたところから始まった。

そこからそれに共感してくれた誰かがイラストレーターを紹介してくれて、また別の誰かが自費出版のやり方を教えてくれて、少しずつ現実になっていった。

その時、苔楽地蔵が教えてくれたのは、「想いを言葉にすれば、いつか願いは叶う」ということだった。

だから今回も、まずは言葉にしてみることにしたのだ。

インスタライブから始まった共創

インスタライブ「アトリエ通信」の中で、その構想を話してみた。

「こういう集まり、できたらいいな」って。

何名かの視聴者の方から共感をいただき、アイデアをいただきながら、思いつきは少しずつ具体化していった。

実は「苔テラリウムクリエイターズサミット」というタイトルもアトリエ通信の中で決まっていった。

内容についても、インスタライブであれこれみんなで話しながら決めていった。

みんなで作り上げていくような感じがとても良かったのを覚えている。

とはいえ、実際ただ構想を語っただけではここには人は集まらない。

やっぱり、それなりの“求心力”となるものが必要だ。

レジェンドたちの協力

その時、これまでお会いしてきた、尊敬する作家さんたちの顔が思い浮かんだ。

正直、返事がこなくても仕方ないと思いつつ、ダメ元でDMを送ってみることにした。

そんな中、一番最初に「参加」を表明してくれたのが、あの道草の石河さんだった。

その一報を受け、正直すごく救われた。

「これでもうサミットの失敗はなくなった」って直感的に思えた。

そこから、他の方々からも次々に参加表明をいただいて、本当にありがたかった。

苔楽のアトリエで迎えた記念すべき日

会場は、できたばかりの苔楽のアトリエ。

広くはないけど、なんとか30人は入れそうだ。

アトリエの内装は、当日ギリギリまで調整して、なんとか人を迎えられる状態にした。

机や椅子は、タカコさんの仕事関係の方からお借りした。

東海勢の仲間たちは、まるで自分のことのように手伝ってくれた。

苔テラ小屋で築いたチームワークが、確実にここでも活かされていた。

そして、ついに全国から仲間がやって来た。

驚いたのは、思った以上に遠方の方からも駆けつけてくれたことだ。

みんなのフットワークの軽さには脱帽した。

なにより「参加したい」と思ってくれた気持ちそのものが嬉しかった。

それだけで、この場を作って良かったと思えた。

それぞれの心に残るもの

あっという間にサミットは終わっていた。

バタバタしていたせいか、正直あまり覚えていない部分もある。

でも、参加してくれた人たちの表情や、帰ってから届いたメッセージを見ると、ちゃんと「何か」は残ったんだと思う。

それが何なのかは人それぞれ。

少しでもその人の心にアトリエに来た意味が残ってくれていたらそれだけで嬉しい。

このイベントをやったことの大義は、きっとそこにあるからだ。

アトリエ通信はみんなの居場所で良い

「アトリエ通信」というタイトルで、毎週月曜日の夜21時にインスタライブをやっている。

相方のヒロシックスさんと、だいたい1時間くらいしゃべってる。

最初のころは、「何を話すか」「どうやって面白くするか」「どんな企画をやるか」ばかり考えてた。

しかし、次第に、だんだん大事なことはそれじゃないのかもしれないと分かってきた。

聞いてくれる人たちは、情報がほしいというより、なんとなく“安心できる居場所”としてアトリエ通信に来てくれているんじゃないかな、と感じるようになった。

つまり、毎週決まった時間にライブをやっていること自体が大事なことなのかもしれないと。

そのように感じている今は、みんなの居場所、帰ってくる場所としてまだまだアトリエ通信を続けていく意味があると思っている。

そして次なる集いへ

次の企画としては「苔テラリウムクリエイターズマルシェ2025」が控えている。

Feel the gardenの川本さんに声をかけていただいて、今回が2回目の開催になる。

新たなクリエイターも参加することになっていて、すでに盛り上がりそうな予感がしている。

そして、こういうイベントを自分が主催するときは、必ず懇親会を開くようにしている。

むしろ、私にとってはそれが目的と言っても過言ではない。

人と人がじっくり交流する時間を作る方が、そこに何かが生まれやすい気がするからだ。

苔楽の活動、これから。

これまでの活動を振り返ってみると、いろんな人との出会いや助けがあったなと思う。

誰かが共感してくれて、たくさんの人に支えられ、小さなイメージが現実の形になり、今に至っている。

これから苔楽企画がどうなっていくかは、正直まだ自分でもよくわからない。

でも、思いついたことをまた言葉にして、共感を得られればそこからまた何かが始まっていくんだろうな、と感じている。

独りよがりにならず周りの人に感謝の気持ちを伝えこれからも微力ながら苔や苔テラリウム界隈を盛り上げていく力になれたらと思う。

もしかしたら、苔楽地蔵はその先のことまで見据えていて私たちをそっと素敵な未来へと導いてくれているのかもしれない。

——————————完——————————

苔楽地蔵が教えてくれたこと⑥

〜〜必然は、いつも偶然を装ってやってくる〜〜

憧れの人と初めての対面

道草の石河さんとのコラボ動画の撮影は、東京にある道草さんのアトリエで行われた。

憧れていた人と直接お会いできる。そう思っただけで胸が高鳴っていた。

ありがたいことに、今回もコケモスさんがエスコートしてくれた。大阪遠征に続いての同行で、とても心強かった。

目の前にいるのは、画面の中でずっと見ていたあの人。

何を話そう、どう振る舞おう、そんなことを考えているうちに、気づけば喉の調子がおかしくなっていた。

撮影中はなんとか声が出たが、終わると同時に声がまったく出なくなってしまった。

せっかくの時間。もっと話したかったし、伝えたかった。でもそれが叶わなかった。

悔しさと情けなさが入り混じった感情だけが残った。

鎌倉での再挑戦、そして撃沈

東京遠征の二日目は鎌倉へ向かい、「苔むすび」の園田さんのショップを訪ねた。

ようやく直接お会いできたのに、ここでも声は出なかった。完全に撃沈。

表情やうなずきでなんとか意思を伝えようとするが、やはり限界がある。

自分の声で話せないことが、こんなにももどかしいとは思っていなかった。

それでもコケモスさんが一緒にいてくれたおかげで、その場はなんとか凌ぐことができた。

本当にありがたかった。

あの時のことを後から振り返ると、ただの偶然とは思えない気もしてくる。

もしかしたら、興奮した状態で余計なことを口にしてしまわないように、神様が「喋らなくていい」と諭してくれたのかもしれない。

今でも、不思議な感覚として心に残っている。

ヒロシックスさんとの想いの共有

ヒロシックスさんとの交流は、出会ってから継続的に続いていた。

苔テラリウムを通じて、東海地方をもっと盛り上げたいという想いは、ずっと二人の間にあった共通の認識だった。

実際、これまでにもマルシェや苔テラ小屋といったイベントを開催してきた。

初めて苔テラリウムに触れる方も多かったが、皆さん笑顔で帰ってくれる。

その様子を見て、苔テラリウムのポテンシャルの高さを感じるようになっていた。

アトリエ構想という冒険

そんなある日、ふとした雑談の中で私が口にしたひとこと。

「みんなが集まれて、情報発信もできるような場所があったらいいよね。」

ヒロシックスさんもすぐに「それ、いいね」と言ってくれた。

その瞬間、ぼんやりとだったが「やってみようかな」という気持ちが芽生えた。

アトリエ構想が生まれた。

とはいえ、現実的には簡単な話ではなかった。

物件の改装には費用がかかるし、家賃や光熱費も当然発生する。

つまり、ある程度の収益を出せなければ継続は難しい。

それでも、自分の中ではすでに覚悟ができていた。

苔テラリウムをただ自分の楽しみで終わらせるのではなく、もっと多くの人に伝えていきたい。

そしていずれは、当たり前に生活の中にある“文化”として育っていってほしい。

誰かが苔テラリウムを始めてみたいと思ったときに、道具や材料が揃っていて、同じ趣味を持つ人と自然に出会える場所。

そんな場があれば、きっと多くの人が気軽に一歩を踏み出せる。そう思った。

気づけば、自分が本当にやりたかったことは「作品づくり」だけではなく“人と人がつながる場”をつくることなんだと感じるようになっていた。

収支が赤字になってもかまわない。それでも、やってみたい。

そう腹をくくった。

導かれるように決まった場所

その約一週間後、ヒロシックスさんのつながりで、築50年の長屋の一角を使わせてもらえる話が舞い込んできた。

不思議なくらい、話はスムーズに進んだ。

内装の改装も、二人でプランを練って方針を決めていった。

少しずつ形になっていく空間を見ていると、不安よりも楽しみのほうが勝っていた。

2024年3月、「苔楽のアトリエ」は静かに動き出した。

決して大きな場所ではないけれど、自分たちで手を加えた分、愛着のある空間になった。

アトリエ通信のはじまり

アトリエの始動と同じ頃、Instagramライブ配信「アトリエ通信」もスタートした。

最初は、改装前の古い空間がアトリエになっていく様子を見てもらうために、私とヒロシックスさんの二人で急ごしらえで始めた配信だった。

けれどそれが、苔に興味を持つ人たちとつながるきっかけになり、やがてひとつの柱となっていった。

自分のやっていることを「見せる」「話す」ことで、少しずつ人が集まり始める。

それが思っていた以上に楽しく、やりがいを感じるものになっていった。

苔楽地蔵が教えてくれたこと⑤

〜〜行動すれば想いは届く〜〜

私には、ずっと会いたいと思っていた人がいる。

苔テラリウムの世界に引き込まれるきっかけとなった、「道草ちゃんねる」の石河さんだ。

彼のYouTubeチャンネルは、ナレーションを一切使わず、映像とテロップだけで静かに苔の魅力を伝えてくれる。

その映像の美しさや手元の丁寧な作業、苔の見せ方からは、深いこだわりと世界観が感じられた。

私にとっては“苔テラリウム界のレジェンド”そのものだった。

「いつか、あの人のオーラに触れてみたい」

そう思いながら、私は苔と向き合い続けてきた。

小さな夢が、少しずつ動き出した

でも、いつか石河さんとコラボができたら──そんな淡い夢が心の中に芽生えたのも事実だった。

「YouTubeを続けていれば、いつか目に留まる日が来るかもしれない」

「まずは苔楽という活動を知ってもらわなければ」

そう思い、地道に発信を続けた。

とはいえ「地方のただの趣味家の活動がそんな遠い世界の人に届くはずはない」

そんな風に自分を押しとどめる声が頭をよぎることも少なくなかった。

でも──それでも、やっぱり「お会いしたい」と思っていた。

コケみざわさんとの出会い

そんな中、もう一人の苔テラリウムYouTuber、西予苔園のコケみざわさんとのコラボの話が舞い込んできた。

彼の動画も以前から楽しみに見ていて、苔農家の視点からの情報が勉強になるし、親しみやすいスタイルに共感していた。

ある日、彼の動画の中で「苔楽さんのこと、勝手に友達だと思ってます」と言ってくれた場面を見て、驚いた。

「認識してくれている…!」

すぐに返信し、やりとりが始まり、あっという間にコラボ撮影が決定した。

この経験で、“発信し続けることの意味”を実感した。

そして、コケみざわさんはその後、道草ちゃんねるとのコラボも実現していく。

忘れられない一言

ある日、道草ちゃんねるのライブ配信をリアルタイムで見ることができた。

これはお近づきになるチャンスだと思い

「こんにちは、はじめまして」とコメントしてみた。

すると石河さんが、

「あ、苔楽さん。YouTubeやられてる方ですよね」

と反応してくれた。

その一言がどれだけ嬉しかったか。

きっと本人にとっては何気ない反応。でも、こちらにとっては一生忘れない言葉になる。

「影響力」とは、こういうものなんだと感じた。

mossmile谷川さん、そしてNABOLOへの道

私が尊敬しているクリエイターは他にもいる。

そのひとりが、東海地方で活躍されているmossmileの谷川さんだ。

彼の作品は、物語性があり、どれも繊細で美しい。

イベントがあると聞けば足を運び、作品の魅せ方や管理方法、技術的な工夫まで学ばせてもらった。

次第に会話もできるようになり、やがて「NABOLO」というイベントへの出店を紹介していただけることになった。

このイベントは、Feel The Gardenの川本さんが主催する、有名クリエイターが集う場。

紹介がなければ届かなかった場所に、自分の活動がつながっていった。

「出店オッケーです」と返事をいただいた時、プレッシャーと不思議な追い風のようなものを感じた。

思い立って大阪へ

関西には魅力的な苔ショップが多い。

金木犀、苔なっこ、moss conectなど。現地で見てみたい衝動に駆られ、大阪へ行くことを決めた。

SNSで「大阪に行きます」とつぶやいたところ、一緒に行きたいという方が現れた。

それがコケモスさんだ。

ヤドンのフィギュアを苔テラリウムに忍ばせ、撮影してSNSに投稿するというユニークな趣味を持つ彼。

実際に会ってみると、とても礼儀正しく、しっかりとした好青年だった。

彼の完璧なエスコートのおかげで、大阪のショップをスムーズに巡り、苔イベントも一緒に楽しむことができた。

その旅は、苔への好奇心と、人とのご縁に彩られた、忘れられないものとなった。

そして、石河さんからの連絡

そんなある日、ついに夢のような出来事が起こる。

「道草ちゃんねる」からのコラボのご依頼だ。

もちろん願ってはいたが、本当に叶うとは驚いた。

何度も見返したそのメッセージ。

夢みたいだった。でも現実だった。

私はすぐに「ぜひお願いします」と返信した。

想いは、届くのだ。

こうして、私の小さな夢はひとつ叶った。

「画面の中の憧れの人」と、同じ画面に並ぶ日がやってきた。

苔と向き合い、作品を作り、発信を続けてきた日々は、ちゃんと意味があった。

行動し続けることが、未来を動かしていく。

これからも、自分の思いを信じながら歩き続けたい。

苔楽地蔵が教えてくれたこと④

〜三千院、苔楽地蔵、そして仲間との時間〜

三千院で出会った「心の原風景」

家族で京都を訪れたとき、私はどうしても立ち寄りたい場所がありました。大原にある三千院です。

苔を愛する私にとって、三千院の苔庭はずっと憧れの場所でした。家族も私の趣味を理解してくれていて、「苔を見たい」という目的も自然に受け入れてくれていたように思います。

庭に足を踏み入れた瞬間、目の前に広がる苔の美しさに心を奪われました。丁寧に整えられた苔は、深い緑の絨毯のように境内を覆い、まわりの空気を静かに、やさしく包み込んでいました。

その苔庭に、いくつものお地蔵さんが静かに佇んでいました。

どのお地蔵さんも柔らかい表情をたたえ、苔とともにそこに「在る」ことの美しさを教えてくれているようでした。

私はその中の一体を、じっと見つめていました。

「ようやく、会えた。」

実は私の活動「苔楽(こけらく)」で使っているロゴは、この三千院のお地蔵さんの写真からインスピレーションを受けてデザインしたものでした。

その存在を写真でしか知らなかった私にとって、実際にそのお地蔵さんを前にしたときの感動は言葉にできないものでした。

まるで、長いあいだ思い続けてきた誰かに、やっと会えたような気持ちでした。

「このお地蔵さんをロゴにして本当に良かった」

心からそう思いました。

この出会いをきっかけに、私はこのロゴのお地蔵さんを「苔楽地蔵(こけらくじぞう)」と名付け、自分の心の分身として大切にするようになりました。

それ以来、苔楽地蔵は私の活動を静かに見守り、支えてくれる存在となっています。

発信がもたらした出会い

苔楽地蔵とともに苔の活動を続けていたある時期、私はYouTubeを通じて苔テラリウムづくりや苔の魅力を発信し始めました。

趣味として始めたものでしたが、少しずつ動画を見てくださる方が増え、コメントや反応をいただく機会も増えていきました。

マルシェに出店する機会も多くなり、ある日、来場者の方から声をかけられました。

「YouTube見てます!」

突然の言葉に驚きながらも、嬉しい気持ちがこみ上げました。

芸能人になったような気分で、嬉しいけれどどこか照れくさい、不思議な感覚を覚えたのを今でも覚えています。

発信をしていると、知らない相手との距離が自然と縮まります。

相手は私のことを動画を通じて知ってくれているから、初対面でもすぐに話が通じる。

そんな体験を通して、人とのつながりが広がっていくのを感じていました。

K2工房さんとの初対面

その頃、東海市でマルシェに出店していたときのことです。

「K2工房さん」という方が私のブースを訪ねて来てくれました。彼もYouTubeで苔やものづくりについて発信しており、私は以前からその活動に関心を持っていました。

「いつかお会いできたら」と思っていた方と、思いがけず直接会うことができた喜びは大きなものでした。

その日は終始、YouTubeや苔の話で盛り上がり、共通の趣味を持つ者同士の会話は尽きることがありませんでした。

趣味を通じて自然につながる――その心地よさを改めて実感した日でした。

ヒロシックスさん、そして広がるご縁

また別の日、「ヒロシックスさん」という方が近くでマルシェに出店すると知り、私は仕事を途中で切り上げて会場に足を運びました。

SNSでは以前からつながっていたものの、リアルで会うのはこれが初めてでした。

そこには「苔男子まこさん」や「コケたコケキファミリー」など、他にも苔を愛する人たちが遊びに来ていて、自然と交流が広がっていきました。

今思えば、この日をきっかけに、私の交友関係は一気に広がっていったように思います。

その後、私たちは一緒に苔観察に出かけたり、マルシェやイベントに参加したりと、苔を通じてさまざまな活動を共にするようになりました。

苔テラ小屋で感じた一体感

仲間とのつながりを強く感じたのは、ヒロシックスさんが企画した「苔テラ小屋」というイベントです。

古民家を活用した苔や苔テラリウムに関するクリエイター出店イベントで、準備から運営まで、みんなで力を合わせて進めました。

このイベントでは、苔テラリウム作りだけでなく、オリジナルのフィギュア作り体験や、苔スタンプを袋に押してもらうなど、参加者が楽しめる工夫がたくさん盛り込まれていました。

それぞれが持ち寄ったアイデアが形になり、訪れた方々に喜んでもらえたことが何より嬉しかったです。

ものづくりが好きな仲間たちと、一つの空間を作り上げる。

その過程にある楽しさや充実感を共有できたことは、私にとって大きな経験となりました。

自然体で出会えた仲間たち

これまで出会ってきた仲間たちとは、無理に関係を築いたわけではありません。

ただ好きなことを楽しむ中で、自然とつながっていった方ばかりです。

趣味を通じて出会った人とのご縁は、心地よく、そして長く続いていくものだと感じています。

今、私が苔楽の活動を続けられているのは、そうした仲間たちがいてくれるからこそです。

苔楽地蔵は、その出会いや感謝の気持ちを象徴する存在です。

これからも、苔とともに歩みながら、自然なつながりを大切にしていきたいと思います。

苔楽地蔵が教えてくれたこと③

〜はじまりの一歩と、初めて知った喜び〜 

苔テラリウムを初めて作ったのは、娘と訪れたアクアリウムショップで目にしたあの小さな世界に心を奪われたのがきっかけだった。

あの景色を、自分の手で再現してみたい。

ただその思いだけで、私は見よう見まねで苔テラリウムを作り始めた。

だが、いざ始めてみると分からないことだらけだった。

そもそも「苔って、どこで手に入れるの?」という初歩的なところからつまずいた。

ネットで調べても、当時は今ほど情報が出てこない。今のように通販で手軽に苔が買える時代ではなく、苔専門のショップもまだ身近にはなかった。

苔を探して山へ

環境保護の観点から言えば、本来やってはいけないことだ。

しかし当時の私は、苔の世界のルールも知らず、ただ「知りたい」「やってみたい」という好奇心のままに、近くの山へと足を運ぶようになった。

登山道の脇、倒木の上、湿った石垣——。

さまざまな場所で苔を見つけ、少しずつ持ち帰っては、自分なりの苔テラリウムに使っていた。

その頃、私は藤井久子さんが書いた『苔図鑑』を片手に苔散策をしていた。

図鑑を見て、「これはホソバオキナゴケかな?」「これはヒノキゴケ?」などと想像しながら、いろんな苔を探し歩いた。

山の中で、コウヤノマンネングサを見つけたときのあの興奮は、今でもはっきり覚えている。

いつしか、以前ソロキャンプに費やしていた時間は、すべて「苔散策」に変わっていた。

苔散策と映像制作

私はもともと、キャンプをしている風景を映画のように美しくまとめた「シネマティック動画」が好きだった。YouTubeでそういった映像を見ては、「いつか自分も、あんな映像を撮ってみたい」と思っていた。

苔を探して山を歩いていると、ふと「この景色も記録に残したい」と思うようになった。自然の中を歩き、苔を見つけ、その美しさを映像として切り取っていく——。それは、まるで映画を撮るような感覚だった。

私は小さなカメラを片手に、苔散策をしながら撮影を始めた。

撮った映像を編集して、YouTubeにアップする。これが思いのほか楽しくて、夢中になった。

自然の美しさを映像で伝えることで、誰かが「苔っていいな」と思ってくれたら、それだけで嬉しかった。

今度は私が誰かに何かを届ける側になりたいと思い始めたのかもしれない。

苔楽フィルムの誕生

作った苔テラリウムは、毎回家族に見せた。

「どう?これ、きれいだと思う?」

妻や子供たちは、「すごい」「きれいだね」と声をかけてくれた。

その言葉が、私にとって何よりの喜びだった。

ただ作るだけではもったいない。

この楽しさや達成感を、誰かと共有できたらもっと面白いはず。そう思い、私は苔テラリウムの作り方をYouTubeに投稿することにした。

これが「苔楽フィルム」のはじまりだった。

制作に夢中になり、動画をアップするたびにチャンネル登録者が増えていく。その数字を見るのが楽しくて、夜な夜な編集に没頭した。撮影技術や編集ソフトの使い方を独学で学び、映像の質を少しずつ高めていった。

やがてチャンネルは収益化され、小さな達成感を得ることができた。

趣味が形になっていくことの面白さを、改めて感じた瞬間だった。

苔の置き場所に困る

順調に苔テラリウムを作り、動画にアップし続けていた私だったが、ある問題に直面する。

「作った苔テラリウムを置く場所が、もうない…」

家中が苔テラリウムで埋まり始め、保管にも限界が見えてきた。捨てるわけにはいかないし、せっかく作ったものだから誰かに使ってほしい。

「誰かに譲れたらいいな」

そんな風に考え始めたころ、思いがけないチャンスが訪れる。

はじめての譲渡、はじめての販売

ある日、母がふとこんなことを言った。

「いつも行ってる散髪屋の店主さんが、苔テラリウムに興味あるみたいよ」

その散髪屋は、地元にある昔ながらの小さなお店だった。

私は「試しに持って行ってみようか」と思い、苔テラリウムを一つ持参した。

すると、店主は本当に喜んでくれて、「こんなに素敵なものを、ありがとう」と感激してくれた。

さらに、「せっかくだからお代を払わせて」と、いくらかの値段をつけてくれた。

私は驚きと共に、「自分が作ったもので、誰かに喜んでもらえるって、こんなに嬉しいものなんだ」と実感した。

この体験が、私の中で何かを大きく変えた。

「もっと多くの人に、苔テラリウムを届けたい」

「作ったものを、誰かのもとへ」

その思いから、地元のマルシェに出店するようになり、少しずつ販売を始めた。

売れるかどうかはわからなかったが、人と直接触れ合いながら苔の魅力を伝える時間は、動画制作とはまた違った喜びがあった。

苔に没頭する日々の始まり

こうして、私は本格的に苔テラリウムに没頭していく。

作って、撮って、売って、また作って——。

その繰り返しが、私の日常になった。

個人対個人の販売からスタートし、マルシェのような不特定多数のお客様を相手にするようになる中で、そこで得られる会話や交流の楽しさにもどんどんと飲み込まれていくようになった。

その頃から苔テラリウムの持つポテンシャルの高さを感じ出したのだろう。

やがて収益も少しずつあげれるようになり、個人の趣味だったものが苔楽企画として開業し、活動を本格化していくようになるのだ。

苔楽地蔵が教えてくれたこと②

〜出会いの偶然と、続けるという奇跡〜

ある日、娘がふと「メダカを飼いたい」と言い出した。

まだ小学生だった彼女のその一言が、まさか私の人生の方向を少し変えることになるとは、そのときは思ってもみなかった。

私は「よし、それなら一緒に見に行こう」と近所のアクアリウムショップに連れて行くことにした。店内には水槽がずらりと並び、金魚や熱帯魚、そしてメダカたちが泳いでいた。そんな中、ふと視界の隅に不思議なものが映り込んだ。

水も魚もない水槽——。

中にあったのは、石とソイルと苔だけ。まるでミニチュアの山のような景色が、静かに、しかし圧倒的な存在感でそこにあった。私は思わず立ち止まり、その水槽の前に見入った。

「なんなんだこれは⁉︎」

頭の中には疑問が浮かぶと同時に、ある懐かしい記憶が蘇った。

大学生の頃、私は手作りのテラリウムにドジョウやエビ、そしてメダカを入れて飼っていた。ガラス容器の中に自分だけの小さな自然を作ることが楽しくて、何時間でも眺めていられた。

しかし目の前にあるその苔テラリウムは、私の記憶の中のテラリウムとはまったく異なっていた。魚も水もないのに、そこに確かに「自然」が息づいていたのだ。まるで山の中に迷い込んだかのような、そんな感覚を覚えた。

苔テラリウムとのすれ違い

しかし、そのときは苔テラリウムを始めるには至らなかった。

当時の私はソロキャンプにはまっていて、月に一回ほど山へと出かけていた。

テントを張り、焚き火を囲み、自然の中でただ一人、静かな時間を楽しむ。それが多忙な仕事のストレスから逃れる唯一の方法であり、新たな趣味を始める余力がなかった。

「今はキャンプで手一杯だし、またそのうち…」

そう思いながら、あの苔テラリウムの水槽を記憶の奥へとしまい込んだ。

〜道草ちゃんねる〜との出会い

それからしばらくして、何気なくYouTubeを見ていたある日、「道草ちゃんねる」という動画に出会った。

何の気なしに再生してみたその動画に映っていたのは、あの日のアクアリウムショップで見たような苔テラリウム。

ガラスの中に再現された小さな世界が、映像の中で静かに光を放っていた。

「これだ…」

記憶の扉が開いた瞬間だった。

映像はとても美しく、何より魅力的だったのは、毎回異なるレイアウトが紹介されていることだった。石の配置や苔の選び方によって、同じ容器でもまったく違う景色が生まれる。その自由さ、奥深さに私は強く心を惹かれた。

「やってみたい」

気がつけば、そう思っていた。

そして私は、苔テラリウムの世界へと一歩踏み出すことになる。

その背中を押してくれたのは、「道草ちゃんねる」の石河さんだった。彼の苔テラリウムへの愛情が画面越しに伝わり、私に「挑戦してみよう」という気持ちを芽生えさせてくれたのだ。

私は多趣味だ。そして飽きっぽい。

ところで、私はおそらく「多趣味」な人間だ。

特にアウトドアに通じるものが好きで、これまでいろいろな趣味に手を出してきた。

学生時代は映画鑑賞、ギター、スノーボード。

社会人になると釣り、ゴルフ、キャンプ、一眼レフカメラ、動画撮影などなど。

最近では盆栽やコーデックス系植物にも手を出している。

自分でも、きっと人よりも「好きなものアンテナ」が敏感なのだと思う。面白そうだと思ったらすぐに手を出したくなるし、やり始めたら夢中になる。その反面、飽きっぽい性格でもある。

私の中では「3のターン」という言葉がある。

3日、3ヶ月、3年。そのあたりで一つの趣味に対する熱が冷めてしまうことが多い。

長く続いたものでも3年ほど。それ以上続く趣味はほとんどなかった。

苔テラリウムとの不思議な関係

しかし苔テラリウムだけは違った。

気づけば始めてからもう5年目に突入している。これほど長く続いた趣味は初めてだ。なぜだろう?と自分でも不思議に思うことがある。

その答えの一つは、「苔楽地蔵」の存在にあるのかもしれない。

苔テラリウムを始めてしばらくして、私は苔楽の世界観を象徴するキャラクターとして「苔楽地蔵」を生み出した。

苔のように静かで、でも心の奥に優しさと強さを持つ。そんな地蔵の姿は、どこか自分の理想であり、人生の中で出会いたかった存在だった。

苔楽地蔵と出会ってから、苔テラリウムはただの趣味ではなく、私の心の拠り所になった。

日々の忙しさに追われる中で、苔の手入れをする時間は「無」になれるひととき。

ガラスの中に小さな自然を作ることで、自分の心も整っていくのを感じる。

続けることの奇跡

趣味が5年も続くことは、私にとっては「奇跡」だ。

そしてその奇跡の中で、たくさんの人に出会い、苔を通じた新たな世界が広がっていった。

それは、趣味という枠を超えて、私の人生にとって大切な「生きがい」だ。

そしてこの苔の道を歩き続ける中で、私は思うようになった。

「続けることには、意味がある」と。

苔はすぐには成長しない。手間もかかるし、成果が見えにくい。

でも、だからこそ、小さな変化を喜びに変えられる。

苔テラリウムは私に、そういう「心のあり方」を教えてくれているのかもしれない。

苔楽地蔵が教えてくれたこと①

〜転倒と決断、そして人生の転機〜

2024年末のことだった。

年の瀬も迫り、慌ただしく日常を駆け抜けていた私は、ある不注意から自宅の庭先で転倒し、左足首をひどく捻挫してしまった。大したことはないだろうと思いながらも、念のため病院で診てもらうと「全治3ヶ月」との診断。足首の腫れはひどかったが、松葉杖を使うほどではなく、かろうじて歩ける状態だった。

「時間が経てば治るだろう」

そんな楽観的な見通しのもと、本業である建築の仕事にも穴を空けられず、騙し騙し日々を過ごしていた。しかし、時間が経っても痛みは引かず、むしろ悪化している気がした。それでも私の頭の中には、「この程度のケガで休むわけにはいかない」「現場は待ってくれない」という思いが居座り続け、治療に専念することなく、4ヶ月という月日が過ぎていった。

そんなある日、ついに限界を感じた私は再度病院へ足を運んだ。診察を受け、医師から告げられたのは想像もしていなかった言葉だった。

「これはアキレス腱の断裂ですね。手術が必要です」

頭が真っ白になった。

「まさか、そんなはずはない」と言いかけたが、医師の口調は真剣そのものだった。

あのとき、もっと自分の身体に向き合っていれば、もっと早く正しい処置を受けていれば…。悔しさと後悔が胸を突き刺した。

タイミングの妙

実はその少し前、ふと思い立ち、長年かけ続けてきた傷害保険を解約したばかりだった。「使うこともないし、もったいない」と思った矢先のこのケガ。

なんとも皮肉な話である。

まるで神様のいたずらのような、奇妙なタイミングだった。

しかし、時間が経つにつれ、私はこの出来事をただの不運とは思えなくなってきた。

「これは神様からのメッセージなのではないか?」

そんな思いが頭をよぎるようになったのだ。

普段、私は神様や運命の存在をそこまで信じてはいない。だが、人生には時として「これは偶然ではない」と感じざるを得ない瞬間がある。私にとっては、それが今回の転倒とアキレス腱断裂だった。

「お前は少し立ち止まるべきだ」

「いつまで仕事に追われて生きるのか。そろそろ、自分の人生に向き合え」

そんな声が聞こえてくるような気がした。

立ち止まるという選択

これまで私は、建築業界の現場で走り続けてきた。朝早くから夜遅くまで、休みも少なく、仕事に追われる日々。お客様のため、会社のため、家族のため。そう思って懸命に働いてきたが、その一方で、愛する妻や子どもたちとの時間、自分の心や体を労わる時間は、どこかに置き去りにしていた。

「休む暇などない」

それが私の日常だった。

しかし、今回のケガは、そんな私に「強制的な休養」を与えてくれた。

否応なしに、仕事を離れ、入院という非日常の時間の中で、自分と向き合うことになったのだ。

実を言うと、入院を前に、私は足の神様を祀る神社を訪れた。

普段は神頼みなどしない私だが、不思議とそのときは、「少しでも良い方向に向かってほしい」という願いを込め、手を合わせた。

そこで私は、ふと思った。

「この機会を無駄にしたくない。むしろ、自分の人生にとって意味ある時間にしたい」と。

苔楽地蔵が教えてくれたこと

私にはもう一つの顔がある。

それは「苔楽企画」の代表として、苔テラリウムを通じて人々に癒しと心の豊かさを届ける活動をしているということだ。

忙しい本業の合間を縫って始めたこの苔の仕事は、私にとって心の拠り所であり、いつしか「人生のもう一つの軸」となった。苔楽地蔵というキャラクターを生み出し、苔を愛する仲間たちと出会い、自分の居場所を築き上げてきた。

そして今回、苔楽地蔵が私にささやいてくれたのだ。

「たまには立ち止まって、自分の歩いてきた道を見つめてみなさい」

「苔のように、静かに、しかし確かに、そこにあることの意味を感じてごらん」と。

私は、この入院期間を使って、「苔楽企画」としての歩みを振り返り、これから何を目指し、どんな未来を描いていきたいのかを、ゆっくりと考えることにした。そしてそれを、一つひとつ言葉にして残していこうと決めた。

これから綴ること

このブログのタイトルは「苔楽地蔵が教えてくれたこと」。

苔とともに歩んできた時間、苔を通じて出会った人々、苔がもたらしてくれた心の変化。

そして、苔楽地蔵が私に教えてくれた「本当に大切なもの」。

それらを、少しずつ綴っていきます。

同じように、忙しい毎日を生きる誰かにとって、この小さな苔の世界の物語が、ほんの少しでも心の休息になれば幸いです。

興味のある方は、ぜひお付き合いください。