苔楽地蔵が教えてくれたこと①

〜転倒と決断、そして人生の転機〜

2024年末のことだった。

年の瀬も迫り、慌ただしく日常を駆け抜けていた私は、ある不注意から自宅の庭先で転倒し、左足首をひどく捻挫してしまった。大したことはないだろうと思いながらも、念のため病院で診てもらうと「全治3ヶ月」との診断。足首の腫れはひどかったが、松葉杖を使うほどではなく、かろうじて歩ける状態だった。

「時間が経てば治るだろう」

そんな楽観的な見通しのもと、本業である建築の仕事にも穴を空けられず、騙し騙し日々を過ごしていた。しかし、時間が経っても痛みは引かず、むしろ悪化している気がした。それでも私の頭の中には、「この程度のケガで休むわけにはいかない」「現場は待ってくれない」という思いが居座り続け、治療に専念することなく、4ヶ月という月日が過ぎていった。

そんなある日、ついに限界を感じた私は再度病院へ足を運んだ。診察を受け、医師から告げられたのは想像もしていなかった言葉だった。

「これはアキレス腱の断裂ですね。手術が必要です」

頭が真っ白になった。

「まさか、そんなはずはない」と言いかけたが、医師の口調は真剣そのものだった。

あのとき、もっと自分の身体に向き合っていれば、もっと早く正しい処置を受けていれば…。悔しさと後悔が胸を突き刺した。

タイミングの妙

実はその少し前、ふと思い立ち、長年かけ続けてきた傷害保険を解約したばかりだった。「使うこともないし、もったいない」と思った矢先のこのケガ。

なんとも皮肉な話である。

まるで神様のいたずらのような、奇妙なタイミングだった。

しかし、時間が経つにつれ、私はこの出来事をただの不運とは思えなくなってきた。

「これは神様からのメッセージなのではないか?」

そんな思いが頭をよぎるようになったのだ。

普段、私は神様や運命の存在をそこまで信じてはいない。だが、人生には時として「これは偶然ではない」と感じざるを得ない瞬間がある。私にとっては、それが今回の転倒とアキレス腱断裂だった。

「お前は少し立ち止まるべきだ」

「いつまで仕事に追われて生きるのか。そろそろ、自分の人生に向き合え」

そんな声が聞こえてくるような気がした。

立ち止まるという選択

これまで私は、建築業界の現場で走り続けてきた。朝早くから夜遅くまで、休みも少なく、仕事に追われる日々。お客様のため、会社のため、家族のため。そう思って懸命に働いてきたが、その一方で、愛する妻や子どもたちとの時間、自分の心や体を労わる時間は、どこかに置き去りにしていた。

「休む暇などない」

それが私の日常だった。

しかし、今回のケガは、そんな私に「強制的な休養」を与えてくれた。

否応なしに、仕事を離れ、入院という非日常の時間の中で、自分と向き合うことになったのだ。

実を言うと、入院を前に、私は足の神様を祀る神社を訪れた。

普段は神頼みなどしない私だが、不思議とそのときは、「少しでも良い方向に向かってほしい」という願いを込め、手を合わせた。

そこで私は、ふと思った。

「この機会を無駄にしたくない。むしろ、自分の人生にとって意味ある時間にしたい」と。

苔楽地蔵が教えてくれたこと

私にはもう一つの顔がある。

それは「苔楽企画」の代表として、苔テラリウムを通じて人々に癒しと心の豊かさを届ける活動をしているということだ。

忙しい本業の合間を縫って始めたこの苔の仕事は、私にとって心の拠り所であり、いつしか「人生のもう一つの軸」となった。苔楽地蔵というキャラクターを生み出し、苔を愛する仲間たちと出会い、自分の居場所を築き上げてきた。

そして今回、苔楽地蔵が私にささやいてくれたのだ。

「たまには立ち止まって、自分の歩いてきた道を見つめてみなさい」

「苔のように、静かに、しかし確かに、そこにあることの意味を感じてごらん」と。

私は、この入院期間を使って、「苔楽企画」としての歩みを振り返り、これから何を目指し、どんな未来を描いていきたいのかを、ゆっくりと考えることにした。そしてそれを、一つひとつ言葉にして残していこうと決めた。

これから綴ること

このブログのタイトルは「苔楽地蔵が教えてくれたこと」。

苔とともに歩んできた時間、苔を通じて出会った人々、苔がもたらしてくれた心の変化。

そして、苔楽地蔵が私に教えてくれた「本当に大切なもの」。

それらを、少しずつ綴っていきます。

同じように、忙しい毎日を生きる誰かにとって、この小さな苔の世界の物語が、ほんの少しでも心の休息になれば幸いです。

興味のある方は、ぜひお付き合いください。

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