苔楽地蔵が教えてくれたこと②

〜出会いの偶然と、続けるという奇跡〜

ある日、娘がふと「メダカを飼いたい」と言い出した。

まだ小学生だった彼女のその一言が、まさか私の人生の方向を少し変えることになるとは、そのときは思ってもみなかった。

私は「よし、それなら一緒に見に行こう」と近所のアクアリウムショップに連れて行くことにした。店内には水槽がずらりと並び、金魚や熱帯魚、そしてメダカたちが泳いでいた。そんな中、ふと視界の隅に不思議なものが映り込んだ。

水も魚もない水槽——。

中にあったのは、石とソイルと苔だけ。まるでミニチュアの山のような景色が、静かに、しかし圧倒的な存在感でそこにあった。私は思わず立ち止まり、その水槽の前に見入った。

「なんなんだこれは⁉︎」

頭の中には疑問が浮かぶと同時に、ある懐かしい記憶が蘇った。

大学生の頃、私は手作りのテラリウムにドジョウやエビ、そしてメダカを入れて飼っていた。ガラス容器の中に自分だけの小さな自然を作ることが楽しくて、何時間でも眺めていられた。

しかし目の前にあるその苔テラリウムは、私の記憶の中のテラリウムとはまったく異なっていた。魚も水もないのに、そこに確かに「自然」が息づいていたのだ。まるで山の中に迷い込んだかのような、そんな感覚を覚えた。

苔テラリウムとのすれ違い

しかし、そのときは苔テラリウムを始めるには至らなかった。

当時の私はソロキャンプにはまっていて、月に一回ほど山へと出かけていた。

テントを張り、焚き火を囲み、自然の中でただ一人、静かな時間を楽しむ。それが多忙な仕事のストレスから逃れる唯一の方法であり、新たな趣味を始める余力がなかった。

「今はキャンプで手一杯だし、またそのうち…」

そう思いながら、あの苔テラリウムの水槽を記憶の奥へとしまい込んだ。

〜道草ちゃんねる〜との出会い

それからしばらくして、何気なくYouTubeを見ていたある日、「道草ちゃんねる」という動画に出会った。

何の気なしに再生してみたその動画に映っていたのは、あの日のアクアリウムショップで見たような苔テラリウム。

ガラスの中に再現された小さな世界が、映像の中で静かに光を放っていた。

「これだ…」

記憶の扉が開いた瞬間だった。

映像はとても美しく、何より魅力的だったのは、毎回異なるレイアウトが紹介されていることだった。石の配置や苔の選び方によって、同じ容器でもまったく違う景色が生まれる。その自由さ、奥深さに私は強く心を惹かれた。

「やってみたい」

気がつけば、そう思っていた。

そして私は、苔テラリウムの世界へと一歩踏み出すことになる。

その背中を押してくれたのは、「道草ちゃんねる」の石河さんだった。彼の苔テラリウムへの愛情が画面越しに伝わり、私に「挑戦してみよう」という気持ちを芽生えさせてくれたのだ。

私は多趣味だ。そして飽きっぽい。

ところで、私はおそらく「多趣味」な人間だ。

特にアウトドアに通じるものが好きで、これまでいろいろな趣味に手を出してきた。

学生時代は映画鑑賞、ギター、スノーボード。

社会人になると釣り、ゴルフ、キャンプ、一眼レフカメラ、動画撮影などなど。

最近では盆栽やコーデックス系植物にも手を出している。

自分でも、きっと人よりも「好きなものアンテナ」が敏感なのだと思う。面白そうだと思ったらすぐに手を出したくなるし、やり始めたら夢中になる。その反面、飽きっぽい性格でもある。

私の中では「3のターン」という言葉がある。

3日、3ヶ月、3年。そのあたりで一つの趣味に対する熱が冷めてしまうことが多い。

長く続いたものでも3年ほど。それ以上続く趣味はほとんどなかった。

苔テラリウムとの不思議な関係

しかし苔テラリウムだけは違った。

気づけば始めてからもう5年目に突入している。これほど長く続いた趣味は初めてだ。なぜだろう?と自分でも不思議に思うことがある。

その答えの一つは、「苔楽地蔵」の存在にあるのかもしれない。

苔テラリウムを始めてしばらくして、私は苔楽の世界観を象徴するキャラクターとして「苔楽地蔵」を生み出した。

苔のように静かで、でも心の奥に優しさと強さを持つ。そんな地蔵の姿は、どこか自分の理想であり、人生の中で出会いたかった存在だった。

苔楽地蔵と出会ってから、苔テラリウムはただの趣味ではなく、私の心の拠り所になった。

日々の忙しさに追われる中で、苔の手入れをする時間は「無」になれるひととき。

ガラスの中に小さな自然を作ることで、自分の心も整っていくのを感じる。

続けることの奇跡

趣味が5年も続くことは、私にとっては「奇跡」だ。

そしてその奇跡の中で、たくさんの人に出会い、苔を通じた新たな世界が広がっていった。

それは、趣味という枠を超えて、私の人生にとって大切な「生きがい」だ。

そしてこの苔の道を歩き続ける中で、私は思うようになった。

「続けることには、意味がある」と。

苔はすぐには成長しない。手間もかかるし、成果が見えにくい。

でも、だからこそ、小さな変化を喜びに変えられる。

苔テラリウムは私に、そういう「心のあり方」を教えてくれているのかもしれない。

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