苔楽地蔵が教えてくれたこと⑥

〜〜必然は、いつも偶然を装ってやってくる〜〜

憧れの人と初めての対面

道草の石河さんとのコラボ動画の撮影は、東京にある道草さんのアトリエで行われた。

憧れていた人と直接お会いできる。そう思っただけで胸が高鳴っていた。

ありがたいことに、今回もコケモスさんがエスコートしてくれた。大阪遠征に続いての同行で、とても心強かった。

目の前にいるのは、画面の中でずっと見ていたあの人。

何を話そう、どう振る舞おう、そんなことを考えているうちに、気づけば喉の調子がおかしくなっていた。

撮影中はなんとか声が出たが、終わると同時に声がまったく出なくなってしまった。

せっかくの時間。もっと話したかったし、伝えたかった。でもそれが叶わなかった。

悔しさと情けなさが入り混じった感情だけが残った。

鎌倉での再挑戦、そして撃沈

東京遠征の二日目は鎌倉へ向かい、「苔むすび」の園田さんのショップを訪ねた。

ようやく直接お会いできたのに、ここでも声は出なかった。完全に撃沈。

表情やうなずきでなんとか意思を伝えようとするが、やはり限界がある。

自分の声で話せないことが、こんなにももどかしいとは思っていなかった。

それでもコケモスさんが一緒にいてくれたおかげで、その場はなんとか凌ぐことができた。

本当にありがたかった。

あの時のことを後から振り返ると、ただの偶然とは思えない気もしてくる。

もしかしたら、興奮した状態で余計なことを口にしてしまわないように、神様が「喋らなくていい」と諭してくれたのかもしれない。

今でも、不思議な感覚として心に残っている。

ヒロシックスさんとの想いの共有

ヒロシックスさんとの交流は、出会ってから継続的に続いていた。

苔テラリウムを通じて、東海地方をもっと盛り上げたいという想いは、ずっと二人の間にあった共通の認識だった。

実際、これまでにもマルシェや苔テラ小屋といったイベントを開催してきた。

初めて苔テラリウムに触れる方も多かったが、皆さん笑顔で帰ってくれる。

その様子を見て、苔テラリウムのポテンシャルの高さを感じるようになっていた。

アトリエ構想という冒険

そんなある日、ふとした雑談の中で私が口にしたひとこと。

「みんなが集まれて、情報発信もできるような場所があったらいいよね。」

ヒロシックスさんもすぐに「それ、いいね」と言ってくれた。

その瞬間、ぼんやりとだったが「やってみようかな」という気持ちが芽生えた。

アトリエ構想が生まれた。

とはいえ、現実的には簡単な話ではなかった。

物件の改装には費用がかかるし、家賃や光熱費も当然発生する。

つまり、ある程度の収益を出せなければ継続は難しい。

それでも、自分の中ではすでに覚悟ができていた。

苔テラリウムをただ自分の楽しみで終わらせるのではなく、もっと多くの人に伝えていきたい。

そしていずれは、当たり前に生活の中にある“文化”として育っていってほしい。

誰かが苔テラリウムを始めてみたいと思ったときに、道具や材料が揃っていて、同じ趣味を持つ人と自然に出会える場所。

そんな場があれば、きっと多くの人が気軽に一歩を踏み出せる。そう思った。

気づけば、自分が本当にやりたかったことは「作品づくり」だけではなく“人と人がつながる場”をつくることなんだと感じるようになっていた。

収支が赤字になってもかまわない。それでも、やってみたい。

そう腹をくくった。

導かれるように決まった場所

その約一週間後、ヒロシックスさんのつながりで、築50年の長屋の一角を使わせてもらえる話が舞い込んできた。

不思議なくらい、話はスムーズに進んだ。

内装の改装も、二人でプランを練って方針を決めていった。

少しずつ形になっていく空間を見ていると、不安よりも楽しみのほうが勝っていた。

2024年3月、「苔楽のアトリエ」は静かに動き出した。

決して大きな場所ではないけれど、自分たちで手を加えた分、愛着のある空間になった。

アトリエ通信のはじまり

アトリエの始動と同じ頃、Instagramライブ配信「アトリエ通信」もスタートした。

最初は、改装前の古い空間がアトリエになっていく様子を見てもらうために、私とヒロシックスさんの二人で急ごしらえで始めた配信だった。

けれどそれが、苔に興味を持つ人たちとつながるきっかけになり、やがてひとつの柱となっていった。

自分のやっていることを「見せる」「話す」ことで、少しずつ人が集まり始める。

それが思っていた以上に楽しく、やりがいを感じるものになっていった。

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